本質を探る

今回はKA法によって導き出した価値を似た者同士集めてグループ分けした。リラックスしているときと集中しているとき、事象は同じでも人によってその価値は違っていた。逆もまた然り、事象が違くても自分が書いた価値と他の人が書いた価値で似通っている部分があった。

例えば、事象が「ランクマッチ制度のあるオンラインゲームをしているとき」だとする。このとき私の心の声は(絶対に勝ちたい)(ランクがあがるまで寝れない)といった感じだ。ゲームしてるときって完全にリラックス状態なんじゃないの?と思う人もいるかもしれないが、私の場合は割と集中モードに入っている。話は変わって、「スポーツで勝負しているとき」という事象があるとする。前記したものとはまた別の事象だが、この二つは価値の面で見ると勝敗制を設けると人は貪欲になるというところで同じだといえる。

日常的な行為の裏を探ると、意外なところで本質が重なっていたりするものだ。この方法によって視覚化できた価値を、集中とリラックスの関係性にいかにうまく落とし込めるかな…ここで共通して生まれた価値を「創造する何か」がこの課題の行きつく先、つまりはオフィスを家化するモノやコトになるのだろうか。ゴールの見えないものを考えれば考えるほどわからなくなってくるこの現象に名前つけたい。(labyrinthization?)

 

あ、、ゴールが見えないというくだりであることを思い出した。事象「外出先で目的地への道のりが分からないとき、Google Mapsを使って検索しつつ向かう」自分はこれをしてるときかなり集中してます。道間違えて余分に歩いたりしたくないので。こういうときの価値って何だろうなと考えた結果、わからないモノやコトがあるとき人は目的や正解を見つけ出そうとすることが価値なのかなと思った。勉強とか課題もそうですよね。今のゼミの状況とかもそんな感じ。

 

今回のゼミから、後々忘れないようにリアルタイムで考えたことをメモしていくようにした。今もメモ見ながらブログってるのですごく書きやすい。価値のグループ分けをして思ったこと「没頭系と開放系の区別が難しい」とか「好奇心と探求心はイコールなのかも」とか、それが何って感じだけどとりあえずなんでも記録するのは大事なことやなあと身にシミシミ、、あと「書き込んでる付箋はなんか違うと思って捨てる(書き換える)ほど良い」というニュアンスの言葉を耳にして ほぉ~~~となった。

 

おわり